He's nuts about you!  ちえの絵日記  No Art No Life


by nature-lives
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ:具象と抽象( 4 )

絵画空間の中で、現実に存在する事物が実際の形態で再現されているからこそ、具象的な形成、つまり具体的な形態が再確認できる造形要素を持つ絵画の存在を総称して「具象」や「具象画」という名称が生まれ、絵画のスタイルを識別させている。明治時代に具象画と抽象画との、余りにも対立的な言葉の捉え方や表現スタイルを確立しすぎたようにも思われるが、具象や抽象と言う名称を用いたカテゴライズは意味が無いと思う。

絵画空間において形態の再現性は、物的なイメージの根幹になる。
何も無い空間にあるただの点が意味を持つのと同じように、現実の再現も形態のイメージと意味をもたらすものと思われる。そういった原理のもとでは、具体的な形態が表現されているものは、意味を喚起する作用を持つのだろう。
[PR]
by nature-lives | 2006-11-02 22:26 | 具象と抽象

Lotus

e0021276_0404838.jpg

e0021276_040499.jpg


Lotus・・・ * 蓮 * 


抽象的な表現と具象的な形態の組み合わせを実験してます。
抽象絵画と具象絵画の両方が描ける様になるまで
奮闘です L( > ∀ < )¬  ≡ = ー 333
最近はまた植物を描くのが好きで、蓮熱が浮上
[PR]
by nature-lives | 2006-09-22 00:40 | 具象と抽象

具象的な形態

 具象的な形態は、通常、自然あるいは自然現象の中から生成されるものと考えられます。なぜなら、抽象的な形態は時に自然界に存在しがたい物質から生成されると考えられ、可逆的に考えた場合、具象的な形態は自然界からつくりだされるもの、あるいは引き出されるものと考えられます。具象的、具体的な形態は存在可能な物質や物体が画中に可視できるものであり、鑑賞者に再確認できるものであると思われます。

 学校の場や、ギャラリーや美術館など公共の場において、「具象的な絵だ」「私は具象をやっています」と、作品について解説する際には、あたかも挨拶語のように「具象」という表現を用いる場面をみかける。もちろん「抽象」という表現も同じように、作品を説明する表現として使用される事が多く、そうした表現によって作者の表現スタイルが理解されていくのである。日本で発祥したアートに「具体美術」というグループも、自然との関連性を放棄しているとは言えず、むしろ、より自然に近いかたちで作品が多く発表されている。
 学校教育に置ける美術の表現活動においても、自然界に存在する事物をモチーフや素材にして表現することや、再認できる形態のあるものを拠り所として表現活動が展開されたり、美術のカリキュラムの中でも、それらは学習の一助となっていると考えられる。
[PR]
by nature-lives | 2006-09-08 17:21 | 具象と抽象
 日本の伝統的な文化のひとつに千利休が創始した「茶道」があり、老若男女を問わず広く普及し、今では三家とも呼ばれるお茶のお家元がある程である。日本の茶道において、作法は人の為の点前、道具の為の点前というように、人から道具へ、精神的なものから物質的なものへの敬意へと作法がシフトするのであるが、道具へと続く御点前は難易度があがっているようにも思われる。

 作法の中には利休道歌にあるように、道歌という比喩や茶道の思想、精神などをこめた抽象的ともいえる表現が含まれる。この作法に見られる抽象性は、利休の「無」の精神性とつながり、「無」い事に対する美と、具体的なものが「無い」事で余計なものが排除され必要なものだけがあたかも顕然化する「無」の境地がある。形や形式を持たない抽象性と、特に道具等に秘められた「無」の精神性は「無」という感覚において共通する概念があるといえよう。

 利休が豊臣秀吉に無の境地を植木で示した話や、利休が楽長次郎に素朴で、何も無い美しさを持つ茶道具をつくるように依頼した話もしばしば耳にするが、利休が茶道の理想としていたと考えられる「無」の境地は、茶道具の「銘」にも受け継がれ、現代でもその名は茶人にとっては尊い名として崇められている。例えば「無心」や「無我」などといった銘には、利休が求めた抽象的な精神性が如実に現れている事が分かる。具体的な茶道具という「作品」は、抽象性のある精神を拠り所として具象的な形象へと導かれている事が、茶道具から伺えるものである。平成の時代からすれば江戸時代は何百年も前の事ではあるが、利休が生み出し、考えだした茶道の奥の深さに今更ながら驚嘆するばかりである。

 茶道具は飾り気のある作品も好まれるが、利休が追い求めた茶道具は真っ黒な黒楽の茶碗に何も絵付けをしない、釉薬がそのままの作品であり、それらの茶道具が具象的な存在となって風景や茶室に溶け込み、立ち現れて来るような佇まいのある作品が良いものと思われる。抽象的な精神の具体化は、茶道具、及び茶道具を扱う為の作法にみられるものであり、モノやコトとして具象化される。抽象的な精神性が、具象的なモノとしての茶道具の中に込められている統合的な芸術表現は、非常に価値のあるものであると考えられる。
[PR]
by nature-lives | 2006-09-06 19:49 | 具象と抽象